理事長からのメッセージ
(日本医科大学 大学院医学研究科
解剖学・神経生物学分野)
この度、上田陽一前理事長の後を引き継ぎ、日本神経内分泌学会理事長に就任致しました小澤一史です。皆様、何卒よろしくお願い申し上げます。
1967年に開催された“第1回神経内分泌シンポジウム”を起点として、1995年には現在の“日本神経内分泌学会”に名称を変更し、1999年より現在の理事会・理事長制度が導入され、初代理事長の斎藤寿一先生(自治医科大学)、千原和夫先生(神戸大学)、須田俊宏先生(弘前大学)、大磯ユタカ先生(名古屋大学)、島津 章先生(京都医療センター)、中里雅光先生(宮崎大学)、上田陽一先生(産業医科大学)と錚々たる先生方がこの理事長職を繋がれ、私は第8代の理事長になります。この重職を担うにあたり、身に余る光栄と同時に、大きな重責を感じております。
私は1984年に東京慈恵会大学卒業後、母校の解剖学教室で下垂体研究者であった故吉村不二夫教授に師事し、その後、群馬大学内分泌研究所にて電子顕微鏡的下垂体研究を展開されていた故黒住一昌教授、文科省在外研究員として留学したフランス、パリ市のCollége de France内の国立科学研究所(CNRS)神経内分泌学部門で神経内分泌顆粒形成に関する細胞生物学的研究を展開していたAndre Tixier-Vidal、Cloude Tougard両教授、そして京都府立医科大学大学院医学研究科生体構造科学部門にてステロイドホルモンと脳に関する研究を精力的に展開していた河田光博教授(現名誉教授)にご指導を頂き、2005年より現在の日本医科大学 大学院医学研究科 解剖学・神経生物学分野にて生殖神経内分泌学を中核に研究を展開しており、一貫して視床下部-下垂体系の神経内分泌学に関する機能形態学研究を行ってきました。従って、この神経内分泌学会はまさに私の研究における「母なる大地」と言えます。
現在、日本神経内分泌学会は約550名の会員からなります。毎回、中身の濃い充実した学術集会が開催されておりますが、この会員数を増加させること、特に次代を担う若い研究者の参加と育成が1つの課題であり、上田前理事長時代からこの課題に積極的に取り組んでおり、若手研究者による「NGENES」が構築され、現在、その活動に期待が寄せられております。また、2022年には第10回国際神経内分泌学会(ICN)がイギリスのグラスゴーで開催される予定になっており、この時に第11回ICNの開催地として(有馬 寛本学会副理事長、名古屋大学教授を会長と予定して)日本が立候補することが理事会決定しており、ICNの日本誘致と日本神経内分泌学会のグローバルな活動への活性化も今期理事会の大きな課題であります。
上田前理事長、私の基礎医学出身の理事長の大きな役目は次世代のために日本神経内分泌学会をより充実させ、そして次世代に着実にバトンタッチする「橋渡し」の役目と認識しています。会員の皆様のご理解とご協力、ご支援をよろしくお願い申し上げます。
(産業医科大学医学部
第1生理学)
この度、日本神経内分泌学会の新理事長に就任しました上田陽一です。皆様、どうぞよろしくお願い申し上げます。
日本神経内分泌学会の前身である第1回“神経内分泌シンポジウム”(伊藤真次会長)(1967年8月8〜9日、北海道大学)から数えて51年目となります。現在の“日本神経内分泌学会”に名称変更されたのが1995年です。この年は、出村博先生(東京女子医科大学)が大会長として学術集会を主催されました。私は2年間の英国留学を終えて帰国した年の秋、この学術集会で発表させていただいたので強く記憶に残っています。先日、出村博先生のご逝去の訃報を拝受しました、ここに心よりお悔やみ申し上げます。
1999年に理事会・理事長制度が導入されて初代理事長に齋藤寿一先生(自治医科大学)が就任されました。以後、千原和夫先生(神戸大学)、須田俊宏先生(弘前大学)、大磯ユタカ先生(名古屋大学)、島津章先生(京都医療センター)、中里雅光先生(宮崎大学)と錚々たる皆様が理事長を歴任され、日本神経内分泌学会の発展にご尽力されました。この伝統ある日本神経内分泌学会におきまして、基礎系から初めての理事長になります。身に余る光栄でありますとともに、この重責に身の引き締まる思いです。
現在、日本神経内分泌学会会員は505名、そのうち一般会員345名、評議員90名とここ数年、あまり変わりないようです。毎年の学術集会では、各大会長が知恵を絞りいろいろな工夫をしながら、一般口演とともにアップデートなシンポジウムなどが企画され、発表・討論が活発に行われています。今後、さらなる発展のためには、本学会会員の増加と学会の活性化が喫急の課題であり、特に若手のリクルートと育成に力を入れることが大切です。
今年7月、カナダトロントで第8回国際神経内分泌学会(8th ICN)が開催されました。ICNは、4年に一回の国際会議で、4年前はシドニー、次回4年後にはグラスゴーで開催されます。今回、1,000名を超える参加者があり、大変な盛況でした。一方、日本からの参加者・発表があまり目立たず、少し寂しい状況でした。本学会において、アジア・オセアニアを含め、グローバルな視野での活動を活性化する必要性を痛感しました。
このような状況を鑑み、若手育成のための(仮称)“若手の会”と国際化のためのワーキンググループの2つを新たに立ち上げ、本学会の更なる活性化に寄与できればと思っております。会員の皆様のご理解とご支援のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。
(宮崎大学医学部内科学講座
神経呼吸内分泌代謝学分野)
私は、本年春の日本神経内分泌学会理事会において島津 章前理事長の後任として理事長に選任され、10月に就任いたしました。2014年からは日本内分泌学会の筆頭理事(財務担当)も務めています。日本神経内分泌学会は、新規の生理活性物質や新しい病態の発見など、多数の画期的な学術成果を日本から世界に向けて発信する役割を果たしてきました。
視床下部と下垂体を主な対象とする本学会は、生体制御の根底となる調節系を成しています。研究面でも臨床面でも、益々その重要性を増しています。選択的な神経細胞のハンドリング、視床下部からの新規の遺伝子同定やiPS細胞樹立、ならびに新規の下垂体疾患治療薬の臨床応用など、目覚ましい進歩があります。「 今、神経内分泌がおもしろい 」と言える時代に則し、学会としても新たな取り組みに着手しました。視床下部、下垂体の生理機能や形態に関する技術をオンザジョブで修得できる「 神経内分泌スクール 」や症例を深く掘り下げ、新たな視点から臨床を考える「 若手臨床優秀発表賞 」の創設など、平成29年度からスタートする準備を進めています。このために財政基礎や人材確保を確固たるものにするための制度設計も始めました。
私とともに理事会新メンバーが一体となり、本学会が発展して行くことができるよう、全力を挙げて努力して参りますので、学会員の皆様のご協力を今後とも宜しくお願いいたします。
(独立行政法人
国立病院機構 京都医療センター
臨床研究センター長)
この度、2014年10月より日本神経内分泌学会の理事長に就任いたしました。前理事長である大磯ユタカ先生の後を引き継ぎ、本学会の舵取りを任せられ、まさに身の引き締まる思いです。
現在、神経内分泌学の分野においても、これまでの専門領域の枠組みでは対応が難しい研究対象の急速な広がり、研究手法の多様性と高度精緻化、研究成果に対する社会の期待など、研究を取り巻く流れが加速し、学会の存立意義がまさに問われています。
日本神経内分泌学会は日本内分泌学会の分科会として1967年に初めて独立開催した学術集会を元として、その後1995年に日本神経内分泌学会として改組され今日に至るまで50年弱を超える歴史を刻んできました。そしてこれまで新規生理活性物質や新病態の発見など多数の画期的な学術成果を日本から世界に発信してまいりました。今後も先達が築きあげてきた素晴らしい業績を本学会から継続して発信していくためには、若手研究者が本学会に興味を持って集い、自由闊達に研究を進めて行ける基盤を提供していくことが本学会としてきわめて重要で逼迫した課題であると考えています。そのために学術集会の開催形式、開催プログラムなどを継続的かつより魅力的なものとし、若手会員が積極的に学会運営にも参加ができる形を作り上げていく必要があります。
私とともに次代を託された理事会新メンバーが一体となり本学会の将来を活動的で意義のあるものに発展させていくよう全力をあげて努力いたしますので、学会員の皆さんのご理解とご協力を是非よろしくお願いいたします。
(名古屋大学大学院医学研究科
糖尿病・内分泌内科学)
このたび2010年10月より日本神経内分泌学会理事長に就任いたしました。現在、私達の研究基盤としている神経内分泌学においても、旧来の専門領域の線引きではとても対応することができない研究対象の広がり、多様化する研究手法の高度進化、速さと展開性をもつ研究成果に対する社会からの期待など研究を取り巻く複雑な流れが出現し、今後の本学会の存立意義を問われる時代を今まさに迎えていることは誰の目にも明らかです。 一方、日本神経内分泌学会は日本内分泌学会の分科会として1967年に初めて独立開催した学術集会をルーツとし、その後1995年に日本神経内分泌学会として改組され今日に至るまで44年を超える歴史を有しています。そしてこれまでにも新規生理活性物質や新しい病態の発見など多数の画期的な学術成果を日本から世界に発信する役割を果たしてきました。しかし、今後も私達の先輩が築きあげてきたような素晴らしい業績を本学会から発信していくためには、若手の研究者が本学会に興味を持って集うことができ、そして彼らが自由闊達に研究を進めて行くことのできる基盤として本学会が機能していくことがきわめて重要でありまた最も急迫した課題であると認識しています。そのためには学術集会の開催形式、開催プログラムなどを継続的により魅力的なものとしていくことはもちろんのこと、学会運営に関しても若手会員が直接的、間接的に参加ができるような制度設計をしていく必要があると考えます。 このような背景の中で私とともに次代を託された理事会新メンバーが一体となり本学会の将来を活動的で意義のあるものとして発展して行くことができるよう全力をあげて努力して参りますので、学会員の皆さんのご理解とご協力を今後ともよろしくお願いいたします。
(弘前大学医学部
内分泌・代謝・感染症内科)
この度、千原前理事長の後任として新たに日本神経内分泌学会の理事長に就任することになりました。大役に身の引き締まる思いですが、任期の4年間、本学会のさらなる発展のために全力を尽くしたいと考えています。神経内分泌学は、視床下部―下垂体―末梢系の軸を主体とする内分泌学の本流となる学問分野です。甲状腺、生殖内分泌、副腎、循環器系、消化器系も、制御機構のkeyは中枢(視床下部)ということになり、この点で古典的内分泌領域と境界領域が一体化されます。ここで内分泌学のアイデンティティーがはっきりします。
社会的に見た我々研究者の使命は、研究成果の社会への還元ということになると思います。神経内分泌学の分野では、基礎系と臨床系それぞれの研究成果を、生命環境の整備、社会生活の向上や疾病克服のために貢献することが重要です。基礎と臨床が車の両輪となって、互いを活性化させ、ひいては本学会の発展のために邁進して行くことが求められています。逆にいえば、本学会程、基礎と臨床が互いに情報交換しつつ活性化している分野は無いのではないでしょうか。私達はこの恵まれた環境、分野で仕事ができることの意味をもう一度確認しなければならないと思います。
しかしこの分野は、研究費やマンパワーなどの面では決して充分というわけではありません。特に学会の活性化のためには若い人の増加が必須です。今後の対策として、各厚生労働省の班会議(間脳―下垂体機能異常調査研究班や中枢性摂食異常症研究班など)との連携を図り、若手研究者にとって魅力ある学会にするためにも、他の研究会との交流も是非必要です。その意味で今まで下垂体研究会との合同開催が2回開催され、2回とも若い研究者の熱気が伝わってきました。今後も定期的な合同開催を行い、そうでない時は合同シンポジウムなどを組むことも計画されています。その面ではスムースに合同開催ができる環境作りが必要と思われます。下垂体研究会の人達は基礎の人が多く、私達が目標とする基礎と臨床が互いに刺激し合って学会を活性化させることにもつながります。今後はできる限り両方の垣根を低くする、または無くする方向で進んで行ければと考えています。
経済的には今まで千原前理事長の御努力に甘えて来た面があります。これからの学会の足腰を強くするためにも、学会員を増やすことの他に、多方面からの賛助や寄付を集めて行かなくてはなりません。
また国際的には2014年の国際神経内分泌会議が日本で開催ができるように、準備を進めて行かなくてはなりません。これは実際に会の運営に携わるであろう若いジェネレーションの人達のやる気にかかっていると思います。
この学会はマニアックな人達の集まりといえるかもしれません。そういう意味でも今まで通りまたはそれ以上に何でも言いやすい、風通しの良い学会にしたいと念願しています。どうぞ会員皆様のご協力を宜しく御願い申し上げます。
(神戸大学大学院
医学系研究科応用分子医学講座)
平成13年6月に開催された日本神経内分泌学会理事会の選挙で理事長に選出され、10月の総会後、斎藤寿一前理事長の後任として理事長に就任しました。光栄に思うとともに、その重責をひしひしと実感します。
本学会は約35年の歴史を持ち、今や草創期から成熟期にさしかかってきていると言えます。若い研究者達はご存じないと思うので少し今までの経緯に触れておきたいと思います。日本神経内分泌学会の前身は、「神経内分泌シンポジウム」であり、その第1回は昭和42年(1967年)8月8-9日に伊藤真次会長の下、札幌の北海道大学医学部会議室で開催されています。「神経内分泌シンポジウム」は7回まで続けられていますが、開催は不定期でありました。定期的に開催されるようになったのは昭和56年(1981年)日本内分泌学会の分科会として正式に承認された第8回神経内分泌分科会(熊谷朗会長)以降でありました。また、この年、新たに作成された会則が昭和56年6月5日付けで施行されています。その後、第21回まで神経内分泌分科会の名称で毎年秋期に開催されてきました。私自身は、第6回神経内分泌シンポジウム(加藤順三会長、日本都市センター)より皆勤で本学会には出席していますが、その中でも印象深く覚えているのが第10回神経内分泌分科会です。その会の会長は、神経内分泌学研究のパイオニアとして国際的によく知られた川上正澄教授(横浜市大、生理学第2講座)に決定されていましたが、決定後しばらくして病気のために突然逝去されました。どういう風に学会はなるのかと思っていましたところ、貴邑富久子実行委員長を中心に横浜市立大学第2生理の教室員の方々が十分な用意をされ、川上正澄教授の遺影を掲げた感動的な雰囲気の中で、大変立派な学会を開催されました。その翌年の1984年から神経内分泌学の研究を奨励する目的で「川上賞」が設立されました。
平成7年(1995年)には一般会員410名、評議員149名計559名にまでなり、学会の更なる発展を期して、他の分科会と同様、日本内分泌学会の分科会としての性格を残しながら、名称が「日本神経内分泌学会」に変更されました。平成7年(1995年)の第22回から昨年の第28回まで、日本神経内分泌学会の名称で学術集会が毎年1回秋に開催されています。また、平成11年(1999年)から、長年に渡ってこの会を支えてきた幹事会制度に代わり理事会・理事長制が導入されると共に新しい試みも幾つか始まりました。
幹事制の時代には、幹事は全員が会長の推薦でしたが、理事会・理事長制になってから人事の基本は選挙となりました。また、本会の学術賞として若手研究者の研究を奨励するために2001年より新たに若手研究奨励賞が設置されました。さらに神経内分泌学及びその学会の活動を広く知って貰うためニュースレターが定期的に発刊されています。平成11年10月29日に一部改正された日本神経内分泌学会の定款を以前のものと比べられると気付かれると思いますが、現在の定款では、事業として学術集会の開催、国際交流の促進に加えて、新たに国際的研究者の育成が挙げられています。2002年8月31日-9月4日、英国Bristolで第5回国際神経内分泌会議が開催されますが、日本の神経内分泌学者に対する評価はいかがなものでしょうか。独創性の高いグローバルスタンダードの評価に耐えうる仕事が望まれます。
理事長として、幾つかの目標を設定しています。会員にとって有益な学術集会を企画・運営し、表彰制度を充実させ、ニュースレター発行やホームページを充実させるために、まず財政的基盤を確立させねばなりません。会費徴収などがきちんと行われることは勿論ですが、賛助会員を増やし、寄付金を募る努力をしたいと思います。次に、神経内分泌学は、学際的な学問領域であり、医学、理学、薬学、農学などの背景を持つ基礎科学者から臨床医まで広い範囲の研究者が交流できるユニークな学問領域であることより、関連学会や研究会との距離を埋め、できるだけ緊密に情報交換できるようになるよう努力をしたいと思います。その延長上に、お互いに協力しあって文部省科学研究費補助金 重点領域研究費などを獲得するようなことも現実性を帯びてくるのではないでしょうか。
会員皆様の大いなるご支援とご協力を宜しくお願い申し上げます。