上代文学会

(1) 大会案内

平成20年度 大会案内
期  日平成20年5月24日(土)、25日(日)、26日(月)
会  場福岡女学院大学
(西鉄大牟田線井尻駅より雑餉隈(ざっしょのくま)営業所行きバス福岡女学院前下車)
〒811-1313 福岡市南区日佐(おさ)3-42-1
電話 092-575-2971 内線574(大学院比較文化研究室)
日  程
24日(土)
理 事 会 (正午〜午後1時50分)
福岡女学院大学 本部2階 第五・第六会議室
公開講演会 (午後2時〜4時30分)
福岡女学院大学 4号館2階421教室
学会挨拶
代表理事 藤原 茂樹
挨  拶
福岡女学院大学学長 古川 照美
「朝倉」と「木の丸殿」-斉明紀・神楽歌・地域伝承ー
福岡女学院大学教授 吉田 修作
「歴史」のなかに生きる『日本書紀』
東京大学大学院教授 神野志 隆光
上代文学会賞贈呈式(午後四時三十分〜四時四十分)
総  会(午後四時四十分〜五時三十分)
懇 親 会(午後六時三十分〜八時三十分)
会場 タカクラホテル福岡(会場までバスでご案内します。)
〒810-0004 福岡市中央区渡辺通2-7-21
電話 092-731-1661 Fax 092-731-1669
会費 8000円円
― 25日(日) ―
研究発表会(午前九時三十分〜午後四時四十分)
福岡女学院大学 四号館二階
萬葉集巻十三における歌と左注
東京女子大学(院) 村本 春香
(司会 日本女子大学教授 平舘 英子)
日本書紀「区分論」再考-多変量解析の考え方を参考にして-
鹿児島工業高等専門学校准教授 松田 信彦
(司会 早稲田大学教授 松本 直樹)
実録と脚色-遣新羅使人歌群をめぐって-
熊本県立大学教授 山ア 健司
(司会 実践女子大学教授 池田 三枝子)
――昼食――
《午後の部》
新羅学生審祥と大安寺-天平期における審祥所蔵経典の管理状況をめぐって-
東京都羽村市立羽村第一中学校 高橋 明子
(司会 青山学院大学教授 小川 靖彦)
折口信夫の「言語情調論」の形成をめぐって
新潟経営大学教授  西澤 一光
(司会 和光大学教授 津田 博幸)
夢、面影からみた巻十一・十二人麻呂歌集歌と作者未詳歌
和歌山大学教授 菊川 恵三
(司会 二松学舎大学専任講師 土佐 秀里)
万葉集と敦煌遺書-山上憶良の世間難住歌と九相観詩をめぐって-
國學院大学教授 辰巳 正明
(司会 國學院大学教授 青木 周平)
― 26日(月) ―
臨地研究 「筑前・筑後路を歩く」(午前8時30分〜午後5時)
一、集合場所 博多駅筑紫口観光バス駐車場
一、集合時間 午前8時30分
一、見学コース
朝倉恵蘇八幡宮(伝斉明天皇御陵)-うきは市日岡・月岡古墳-珍敷塚古墳-(昼食)-筑前町大己貴(三輪)神社-岩戸山古墳(伝磐井の墓)・岩戸山歴史資料館-福岡空港(一次解散)-博多駅(二次解散)
(交通事情により多少の遅れが生じる場合があります。お帰りの交通機関のご予約は余裕を持ってお取り下さい)。
一、案内 東 茂美(福岡女学院大学教授)、吉田修作(同)、片岡宏二(福岡県小郡市埋蔵文化センター)
一、費用 7000円(バス代・見学・昼食代を含む)
一、人数 郵便為替での参加費用受領順に四十五名で締め切ります。
大会研究発表要旨 萬葉集巻十三における歌と左注
村本 春香

 萬葉集巻十三の歌はその大半が題詞をもたず、歌の作者や詠歌時に関する情報が提示されていない。左注も、基本的に「右○首」とあるだけで、歌群のまとまりを示すものに過ぎない。それ以外の左注が付される場合は、三二六三番歌で『古事記』が、三二五七番歌で「或本」が参照されているように、異伝関連の情報が提示する時である。しかし、巻十三の成立過程を問う場合を除き、このことが積極的に問題にされることは、殆どなかったように思われる。
 例えば三二六三番歌については、相聞の部立に収録されていることから、「自死」に際してのという注とはかかわらず、相聞として読むための理解がされてきている。勿論、『窪田評釈』が「妹が以前のとおりでいるかどうか、全く消息がわからず、多分は以前のとおりではいまいと思」った詠み手を指摘するように、相聞として読むことができないわけではない。『古事記』にはない反歌もあり、三二六四番歌は七夕を背景にした相聞歌である。「或書」の反歌も挽歌とは解しがたい。問題なのは、それでも三二六三番歌一首に対して、「自死」だとの注が加えられていることではないだろうか。
 歌の組合せに関しては、三二五七番歌の左注は、「或本」を参照しつつ、三三二〇番歌として他の歌と組合わせられていることに触れているし、そもそも異伝歌の提示と関わって題詞を付すという巻十三の態度からも、見逃せない問題であると考えられる。このことと無関係に三二六三番歌の左注があるとは考えがたい。また、「検」という左注には、他に『日本書紀』や『類聚歌林』などを参照するものがあり、その施注意識との関わりの中に、三二六三番歌の左注も位置付けられるだろう。以上のような視点から、巻十三の歌のあり方と左注者がどのような関係にあるのか、という点について考えてみたい。

日本書紀「区分論」再考
―多変量解析の考え方を参考にして―
松田 信彦

 本発表は、日本書紀「区分論」の問題について、多変量解析の考え方を取り入れ、新たな切り口で日本書紀を見直すことを主眼とする。
 従来、「区分論」は各段落について文字使用の頻度を調べ、各巻に偏りが見られるかどうかを調べるというものである。この方法を用いると、確かに大きく2つのグループに分かれるという結果が得られる。これは、調査文字を変えても、調査する研究者が変わっても、比較的近似した結果が得られたことから、日本書紀各巻の普遍的な性格として認められ、この偏りの原因を、編纂者あるいは筆録者の相違というところに持っていくことが当たり前のように行われるようになった。
 しかし、これには大きな問題があると私は考えている。まず、文字や語彙、あるいは様々な項目を統計的に扱うなかで、その用例が「ある」「ない」で区分されるのはまだ理解できても、区分の基準が「多い」「少ない」という、極めて主観的な処理をされている場合がある。
 次に「ある」「ない」の2グループに分けたとして、本当に日本書紀の文章は二分割されるような性質のものなのかという疑問である。「ある」ことに必然性はあっても、「ない」ことが本当に必然的なのかの検討がない。また、日本書紀の文章の性格として、Aでなければ、必ずBになるべきものなのかというと、必ずしもそうとはいえないのではないか。AもBも、そしてCもあるということが、十分に考えられるのではないだろうか。
 そこで、本発表では、区分の調査方法を根本から見直すことが必要だという認識に立ち、これまでは極めて恣意的に扱われていた数値の処理を、出来る限り客観的に行うため、すでに統計学・情報処理学の中で確立された、多変量解析の考え方を参考にして、これらの問題をより客観的に解明することを目的とする。
 結果として、日本書紀の文章を用字・表記などの観点から調査し、多変量解析の理論を使って、従来いわれてきたような2つのグループには分けられない日本書紀の文章の性格を見出し、かつ、この方法が日本書紀以外の文献の区分にも転用できる可能性を確認したい。

実録と脚色―遣新羅使歌群をめぐって―
山ア 健司

 萬葉集巻第十五の前半部分を構成する遣新羅使人歌群については、「実録風な創作」と規定され、使人の遺した歌の記録(歌稿)を入手した編者により脚色が加えられ、現行の内容に至ったと捉えるのが通説となっている。歌稿を編者に伝えた人物としては遣新羅副使であった大伴三中、編者には大伴家持を想定する論があるけれども、当事者である三中が編纂に関与した可能性も想定され、なお決定的とは言えない。
 一方、使人の遺した歌稿と編者による脚色の部分の認定についても、無署名歌の解釈をめぐって説が分かれる。それは、無署名歌について、その多くを歌群の編纂に関与した三中の創作とみなす立場と、遣新羅使の下級の構成員による実作と編者が使人を装って書き加えた作とが混在したものと捉える立場とが対立するためで、当事者による実録的部分の占める割合をどのように捉えるかによって、歌群全体の理解のしかたもおのずと変わってくる。そして、両者を識別する糸口はなかなか見いだしにくい。
 しかるに、題詞等の注記によって区分される小歌群単位で読みなおしていくと、作者に関する情報が含まれているものと、まったく含まれないものとがあることが知られる。すべての歌が第三者の手になる可能性も想定しうる後者に対し、前者は無署名歌を含む場合でも当事者の実録を活かしながら形成されていると見ることができる。
そこで本発表では、題詞に各停泊地名を明記する小歌群のうち、実録であることが明らかな、作者名もしくは身分を明記する歌を含む例をとりあげ、各小歌群内における無署名歌の展開を分析することによって、歌の内容と題詞とがどのようにかかわりあっているかをまず明らかにする。そのうえで、題詞等の注記を整えた編者が使人たちの遺した歌稿から何を読みとり、それを如何に伝えようとしたかを明らかにしたい。

新羅学生審祥と大安寺
―天平期における審祥所蔵経典の管理状況をめぐって―
高橋 明子

 新羅学生審祥は八世紀なかばの大安寺の学僧であり、東大寺の前身である金鐘寺で、日本で初めて『華厳経』講説を行ったことで知られる(『東大寺要録』「華厳別供縁起」)。一方で、正倉院文書には、厖大な数の審祥所蔵経典の貸出記録が残る。しかし、審祥の伝記は「新羅学生大安寺審祥大徳記」という書名が『華厳宗古徳記』に見えるのみで散佚し、生没年をはじめとする彼の伝記的事項、さらには審祥が天平期の仏教や文学に与えた影響については、いまだ明らかにされていない点が多い。
 本発表では、正倉院文書にみえる審祥所蔵経典の貸出状況にもとづいて、審祥所蔵経典の目録作成と所蔵経典の移管、さらに審祥の没年について考察する。
 第一に、審祥所蔵経典の貸出の第一次集中期は、天平十二年(七四〇)〜天平勝宝七年(七五五)である。時期的にみて、審祥所蔵経典の貸出は、国家的規模で行われた光明皇后による五月一日経の写経事業と密接な関わりをもつ。
 第二に、天平十九年(七四七)以後、審祥所蔵経典の借用申請が急激に活発化する。それまであまり貸し出されることのなかった審祥所蔵経典が、この時期になって急に注目されるようになった背景には、天平十九年前後、審祥が住した大安寺で、経典目録や『大安寺伽藍縁起并流記資財帳』を整備しようとする動きがあったことが想定される。
 第三に、正倉院文書には、審祥所蔵経典に一致する天平二十年(七四八)六月十日付の目録(以下「天平目録」と略称)が存在する。この「天平目録」末尾には「天平十九年十月一日佐官僧臨照・大僧都行信、此二柱僧網共知検定」という奥書がある。この奥書は、すでにこの時点で「天平目録」の原拠となる「原目録」が存在していたことを意味するものであり、「原目録」とは大安寺で撰述された審祥所蔵経典の目録であったと考えられる。
 第四に、以上の考察をふまえて、堀池春峰氏が天平十七年〜天平勝宝三年と推定された審祥の没年について、「華厳別供縁起」を再検討し、審祥の没年が天平十五年であり、審祥の所蔵経典目録「原目録」の完成は、審祥没後の天平十五年一月十四日であるという見解を示したい。

折口信夫の「言語情調論」の形成をめぐって
西澤 一光

 折口信夫は、「言語情調論」において、「言語概念の意識に上る部分即意識的事実としての言語は、具象的な観念をして、概念の代表者たらしめることの出来る場合においてなりたつのである。これを、さかしまに、具象的な観念を有せない言語概念はないともいふことが出来る。」(旧511、新43)と述べている。「普遍的な概念」というものが、もし成り立ちうるとすれば、それは、「主観の相違」「経験の相違」に基く「具象的観念」が相手に伝わってのことだというのである。「言語概念の基礎をなすものは、人々の経験事象」であるとも主張している。ここには、意味の理念性や音声の自己への現前性を前提とする西欧の言語学、ひいては形而上学とは異なる思考、かつ、それらへの批判的スタンスとなりうる思考が示されている。折口の言語論は独自なものであり、その独自性は、西欧近代知の地平における言語論として、批判的に独自的である。
 より「言語情調論」に即して言えば、折口は、その言語分析の手立てとして、「描写性」と「気分性」という区分を一貫して堅持しており、しかも後者の「気分性」の方に、言語の「直接性」の契機を見ようとしている。後の時枝国語学の「詞」と「辞」の区分にも対応するような議論であるが、折口における「気分性」の問題はより多様な局面で論じられており、とりわけ和歌論として展開されている点が注目される。
 そこで、今回の発表では、(1)折口における和歌論と民俗学の〈あいだ〉に位置づけられるものとして「言語情調論」の言語論――折口は「言語心理学」と命名する――の独自の形成を明らかにすること、(2)当該言語論の和歌論への適用を考察することで、折口が「和歌」に対して割り当てていた理論上の意義を明らかにすることを課題として述べる。

夢、面影からみた巻十一・十二人麻呂歌集歌と作者未詳歌
菊川 恵三

 巻十一・十二に収められた人麻呂歌集歌と作者未詳歌が、人麻呂歌集を「古」作者未詳歌を「今」とする「古今相聞往来歌」であることは周く知られている。さらに、その具体的な歌のありようについてさまざまに論じられているが、人麻呂歌集歌と作者未詳歌、さらには他の万葉相聞歌はどのように違うのか、必ずしも明確ではない。
 発表者は、ここ数年、万葉の夢歌を夢信仰ではなく、相聞表現の視点からどのように読み解くことができるかを考察してきた。その中で同じ夢の相聞歌でも、巻四・十五・十七と巻十一・十二では、歌いぶりに違いがあることに気づいた。例えば、「夢に見えこそ」のように夢を希求する歌は巻十一・十二に多く、「思へか(こそ)・・・夢にし見ゆる」のように、相手の思いと夢の出現を疑問や確信を交えてうたうのは、巻四や巻十五の遣新羅使人歌群、巻十七の家持歌に多い。
 また夢歌同様、巻四・十一・十二など万葉相聞歌群に多く見られる面影の歌にも興味深い例がある。それは巻十一の作者未詳歌の「里遠み恋ひわびにけりまそ鏡面影去らず夢に見えこそ」(11・二六三四)である。ここでは「まそ鏡―面影―夢」が一続きのものとしてうたわれるが、「まそ鏡―面影」「面影―夢」はいずれも集中に用例を見出すことができない特殊なものだ。なぜこのような歌が成り立ったのか。実はこの歌には左注があり、人麻呂歌集の類歌(「里遠み恋ひうらぶれぬまそ鏡床の辺去らず夢に見えこそ」(11・二五〇一))を指摘する。この「床の辺去らず―夢」には類例があり、「まそ鏡―月影」などの表現と合せて当該作者未詳歌が成り立ったと思われる。この他にも面影をうたった作者未詳歌には共通した特徴がある(「面影と夢」(『国語と国文学』二〇〇七・一一))。このような面影、夢の歌を通じて、巻十一・十二の人麻呂歌集歌と作者未詳歌について改めて考えてみたい。

万葉集と敦煌遺書
―山上憶良の世間難住歌と九相観詩をめぐって―
辰巳 正明

 憶良は肉体の滅びと死の省察を経て、「故知りぬ。生るれば必ず死あるを。死をもし欲はずは生れぬに如かず」(「沈痾自哀文」)と嘆いた。その肉体は四百四の病により損なわれて行くのだというところに、憶良が自らの重い病を嘆く理由も見出される。そうした嘆きの根拠は、より実相的に理解されていたからであろう。その実相とは人間の肉体の滅びを具体的に示す敦煌遺書の「九相観」や「九想観詩」あるいは「百歳篇」に求められるように思われる。
 九想観や九相詩あるいは百歳篇は、敦煌遺書によれば別に「九相変」とも見られるように、絵解きが行われていたことが知られる。これらは、以後に日本の中で九相絵巻として流行することとなる。九相に関しては敦煌出土のペリオ文書やスタイン文書に九想観詩があり、そこでは、初生・童子・盛年・衰老・病苦・死・胞())脹・白骨、あるいは孩孩・童子・盛年・衰老・病患・死・)脹・爛壊・白骨があり、敦煌遺書は人が生まれてから青年の時の栄華へ、そして衰老へと向かって死を迎え、肉体の腐敗を経て白骨へと至ることを詠むところに特色がある。ところで、憶良の時代に九相観がどのように存在したのかが問題となる。正倉院文書の「聖武天皇宸翰雑集」には、「九相観詩」が見られ、すでに古代日本に受け入れられていたことが知られる。
 九想観詩が日本では空海の九相詩に始まることが知られているが、それを憶良の「哀世間難住歌」(巻五・八〇四−五)の段階にまで遡上させることが可能ではないかと思われる。しかも、憶良のそれが若い男女の青春期から衰老へと至る内容に重点が置かれていることから見るならば、『大智度論』に説くような九相から導かれたものであるよりは、明らかに敦煌遺書の九想観詩や百歳篇、さらには正倉院文書の「生身」に近いことが窺われるであろう。このようなことについて、考えてみたい。

☆返信用ハガキについて
・大会参加の申込みは、同封のハガキ(福岡女学院大学 吉田修作研究室宛)に必要事項を記入して、4月19日 (金)までに必ず届くようにお送り下さい。
☆費用について
・費用(研究発表資料集代〔1000円〕、懇親会費〔8000円〕、25日昼食代〔1000円〕、臨地研究参加費〔7000円〕)は、同封の振替用紙を使用し、郵便振替で口座名「吉田修作研究室」(口座番号00180-8-297216)宛に4月19日(金)までに振り込んで下さい。
・24日の理事会に出席される理事は、昼食代(1000円)を、同様に振替用紙で納入して下さい。
☆昼食について
・25日の昼食が必要な方は、必ず事前にお申し込みの上、1000円をご入金下さい。
・会場周辺には、日曜日営業のコンビニはありますが、大型な店舗はございません。
☆宿泊・交通について
・各自でお申し込み下さい。
☆出張依頼状について
・出張依頼状は、学会事務局(慶應義塾大学文学部・藤原茂樹研究室)に、提出先と職名を明記の上、返信用封筒に 80円切手を貼ってお申込み下さい。
※学会事務局(慶應義塾大学文学部・藤原茂樹研究室)
〒108-8345 東京都港区三田2-15-45 慶應義塾大学文学部藤原茂樹研究室内
電 話・FAX 03-5427-1208
Eメール keiojodai@yahoo.co.jp
☆大会に関する問い合わせ
・〒811-1313 福岡市南日佐(おさ)4-42-1
電話 092-575-2971 
内線153(人文学部長室)内線576(東 茂美研究室)内線574(大学院比較文化研究室)
090-9496-2656(吉田修作携帯) Eメール syuyoshida@fukujo.ac.jp


(2) 秋季大会案内

予告
 平成20年度秋季大会を下記のように開催する予定です。研究発表を希望される方は、下記の要領に従ってお申し込みください。

日  時11月2日(土)午後1時〜5時
会  場専修大学神田校舎(予定)
【研究発表者募集要領】
内  容上代文学の言語・文学に関する研究
時  間発表約1時間 質疑応答20分
応募締切平成20年6月30日(月)

 研究発表を御希望の方は、題名・氏名・所属を明記の上、要旨(800字程度)を添えて事務局(慶應義塾大学文学部藤原茂樹研究室)あてにお申し込みください。



(3) 例会案内

上代文学会7月例会御案内
日  時平成20年7月12日(土)午後2時〜5時
会  場青山学院大学青山キャンパス 総研ビル11階 第19会議室
研究発表「隨天神御子之命」の意義
國學院大學大学院生 坂根 誠
(司会 東海大学准教授 志水義夫)
山上憶良「思子等歌」の構造と主題
椙山女学園大学教授 大浦誠士
(司会 日本女子大学教授 平舘英子)
発表要旨「隨天神御子之命」の意義  坂根 誠

 古事記上巻における「国譲り」は、天照大御神之命以、「豊葦原之千秋長五百秋之水穂國者、我御子正勝吾勝々速日天忍穂耳命之所 知國。」言、因賜而天降也。  (上巻―「国譲り」)の宣言文によって導かれ、続く文脈においてその使者の選定が行われる。従来この宣言文の発話の主体者は天照大御神であると解されてきた。しかし、「国譲り」の完了する文脈には、……建御名方神白、「恐。莫 殺 我。除 此地 者、不 行 他處 。亦不 違 我父大國主神之命 。不 違 八重事代主神之言 。此葦原中國者、隨 天神御子之命 獻。」。
故、更且還來、問 其大國主神 、「汝子等、事代主神・建御名方神神者、隨 天神御子之命 、勿 違白訖。故、汝心奈何。」。尓、答白之、「僕子等神隨 白、僕之不 違。此葦原中國者、隨 命既獻也。」(上巻―「国譲り」)として、建御名方神が「隨天神御子之命」によって葦原中国を献上すると述べ、更に大国主神が、「隨命」によって葦原中国を献上すると述べる記事が存する。これらの記事は、建御名方神と大国主神が、「天神御子之命」即ち「天忍穂耳命のお言葉」によって葦原中国を献上していると解することが出来るため、冒頭の宣言文の主体を天忍穂耳命と解する必要性が存する。
 この点について倉野憲司(『古事記全註釈 第四巻 上巻篇(下)』三省堂、昭和五二年二月)は、詔命は、天照大御神・高木神(天神)の詔命であつて「天神御子」の詔命ではない。然るにここには「天神御子之命」とあるのは明らかに矛盾であるが、天神御子が葦原中国の統治者となられることを踏まへての、言はば勇み足であらう。
とするが、この二例の「隨天神御子之命(及び「隨命」)」を単に「勇み足」とすることには従い難い。古事記における発話の主体者の描き方を考察し、「隨天神御子之命」の意義を定め、この「国譲り」の命令における権威の所在を明らかにしたい。

山上憶良「思子等歌」の構造と主題 大浦誠士

 山上憶良の作品については、主題の特異性や「漢文序+歌」という形式ゆえに、比較文学的見地からの考察が重ねられてきた。その多くは出典論であり、多くの先行研究が指摘する典拠によって、憶良がいかなる知見の上に立って作歌しているのかが明らかにされてきた。しかし、憶良作品の表現が典拠を有することと、憶良作品がどのように成り立っているかということとは別問題であろう。典拠の指摘によって、かえって見えなくなっているものも多いのではないかと考える。また、「漢文序+歌」の形式についても、いかに序と歌とが対応するか、整合するかが追求され、その全体を一つの主題によって把握しようとする作品論的な考察が重ねられてきたのだが、漢文(中国語)である序と、和語であり韻文である歌のそれぞれが持つ論理・思考や表現性の異質さを、根底に見据えておく必要があるのではないか。
 本発表では、そうした問題が端的にあらわれている作品として、「思子等歌」を中心として取り上げる。「思子等歌」については、子を愛する親の苦悩を歌うという把握から、子を愛することを称揚するという把握まで、両極端の捉え方が見られるが、それは漢文序の読みを反歌にまで及ぼし、また反歌の読みを漢文序にまで及ぼすという方法によって導かれるものである。しかし、「漢文序+歌」という新たな試みにおいて、そうした作品論的な把握がどこまで可能であるかを考えて見る必要がある。また、序や歌の表現理解において、典拠による考察がかえって理解を妨げている面も否定できない。漢文序を憶良による漢文序として、歌を歌として読むことを通して、「思子等歌」の構造と主題を考えるのが本発表の目的である。その先に嘉摩三部作に見られる憶良の思想、姿勢を見通すことができれば幸いである。

○研究発表終了後、常任理事会(於、総研ビル10階 第17会議室)を開催します。

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